2019年11月27日(水)
17年と10か月生きているマヤは、もうしっぽを振ることがない。
足をあげておしっこすることも滅多になくなったし、散歩に行こうと声をかけてもぼんやりと佇んだままだから、抱っこして玄関まで運んでやる。
するとようやく「散歩」という愉しみのことを思い出したようにゆっくりドアに向き直る。
老犬には老犬の可愛さがある。これは疑いようのないことだけれども、時折無性にマヤが若く溌溂としていた昔が懐かしくなる。
後ろ足を高々と上げておしっこしていたクマのぬいぐるみのような後姿。
尻もちをつくほどしっぽを振って「さあ!散歩に行きましょう!」と私を見上げた輝く瞳。
それらを見ることは今ではもう叶わない。
だというのに一体どうしたことだろう。今日の朝、足を上げて「男ちっち」をしたマヤは、自らの意思でよたよたと玄関に歩いてゆくではないか。
しっぽこそ振ってはいないけれど、「さあ、散歩に行きましょう!」とすっかり痩せた背中が語りかけてくる。
お散歩行くんだね。ちょっと待っててね。
突然記憶を取り戻したかのような犬の様子に戸惑いながら、さあ行こう!とドアを開けた瞬間、さっと一陣の風が吹き込んできた。
いつもの空気の匂いではない、甘く清浄な薫り。
どこか懐かしく心癒される風味。
私はいったいこれをどこで嗅いだのだろう?
そうだ、これは福島の原生林で肺腑に深く吸い込んだ空気の匂いだ。
でもどうしてここに?
そういえば今日は新月だった。生きものの力が刷新される新しい区切りの日。
新月の影響を受けてマヤも昔の生命力をわずかながら取り戻したのかもしれない。
そんなことを考えながら、いつもよりもしっかりとした足取りで歩く老犬と、涼やかな空気の中、ゆっくりゆっくり散歩した。