2014年8月19日

BLUE SKY
小さくなった妹を抱えて見上げた火葬場の空は、昨日までとなにも変わりなく青く高く広がっていた
今日は悲しいおしらせがありますので、少し行間をあけさせて頂きます。
文章は推敲していません。思いつくままに書きました。また、できるだけ感情的にならないようにしたつもりですが、やはり感情的にならざるを得ませんでした。ごめんなさい。

まだ10日しか経っていないので、お見苦しいところがあってもご容赦いただけると幸いです。(2014年8月19日記載ママ)

ウミツバメは、手すりから軽く飛び立って、あの美しい長い翼を空中に広げました。翼は、ちっとも羽ばたきさせず、思いのままに風に乗って、その鳥は船をまわって高く飛びあがり、メイン・マストの先をかすめました。それから、一息に北を指して飛んで行きました。

「ジョン・ドリトル先生、さようなら。」とウミツバメは、空から叫びました。「さようなら、御幸運を祈ります。」
「古馴染みよ、さようなら。」と、先生も答えました。「おまえも、達者でな!」

私の傍に、先生は身動きもせずに立っていました。その目は、鳥が白い波頭の上をかすめて、見えなくなっていくのを見送っていました。

「わしはな、スタビンス君。」最後に、先生はつぶやきました。「この自分自身、つまり医師以外のものになりたいと思ったことはない。だが、もし、何かの機会で、わしが何かになれるとしたら、わしは、あれになりたいと思うよ。世界じゅうのどの生き物よりも、あの嵐をつげるウミツバメになりたいよ。」

<ドリトル先生と秘密の湖より 訳・井伏鱒二>



──ドリトル先生一行を乗せた船が誤って嵐に向かって進路をとっていた時に、危険を知らせに飛んできたウミツバメと先生との別れの場面。
昨夜、たまたま開いた本の中にこの一節を認めたとき、涙があふれて止まらなくなった。

その時、私はウミツバメに何を見ていたのだろう。
ひなを育てるツバメのように、末妹にせっせとお菓子や衣服を運んでいた自分の姿だろうか。
それとも、古代エジプトの「死者の書」などに見られるツバメ──薄暗い墓から光あふれる日常へと、喜々として飛び出してゆく死者の魂の変化した形か。

それとも、さようなら、さようならと叫びながら広々とした世界に飛び去ってゆくツバメと、小さな姿が見えなくなるまでそれを見送る先生に、妹と、自分の姿を重ね合わせたのだろうか。


末の妹が死んだ。死因も死亡時間も、死亡日すらもはっきりとは分からないままに、あっさりと44年の人生を閉じてしまった。


ご存じの通り我が家では、一昨年の8月に父が、昨年6月、あとを追うように母も世を去った。
最も近しい肉親の死が3年続くと、さすがにこたえる。今は私もヘボピーも茫然自失の状態である。


私はまず人をねたんだり憎んだりすることがない。すこぶるおだやかな人間だと思う。
だが、今回はどうも勝手がちがう。突然に怒りと憎しみがわいてきて、人に食ってかかったり、やたらと攻撃的になっている。
街を歩いていて人にぶつかられ舌打ちでもされようものなら、バール片手に追いかけて殴り倒したい衝動に駆られたりする。

このままでは悪しきものにつけ込まれ、「もののけ姫」に登場するイノシシの族長、乙事主のようにタタリ神と化しそうなので、必死で己をいましめてはいるものの、妹の遺体を発見した時に腹の底からわきあがった気持ち──怒りが唐突によみがえるのだ。


幼い頃から要領が悪い、なんかイラつくといじめられ続けて、いくらがんばっても報われなくて、ついには心を病んでしまったカナ。
楽しいこともなく、貧乏で、一人では電車にも乗れないから旅行にも行かず、自分が生きる意味を見失って悩み苦しみ抜いたあげく、こんなゴミためみたいな部屋の中で、死んで半分腐りかけている。

ひょっとするとまだ息があるんじゃないか?寝てるだけじゃないか?
祈る思いでうつぶせのままの妹をのぞき込んだ時、黒い死斑が浮き出した腕と、形が崩れはじめた指先が目に入った。
その時、口をついて出たのは「糞!糞!糞!」という叫びだった。
最後がこれかよ!!と怒鳴りながらバカみたいに部屋を歩き回った。

金持ちの家に生まれて面白おかしく生きている人々もいるというのに、生活保護で行きたい病院にも簡単に行けない貧乏人のまま、電気代を節約して扇風機を止めたままのクソ暑い部屋で、最後は腐って終わりかよ!
自分を含めたこの世の全てが憎くなった。


我が家には娘も息子も、甥も、姪も、一人もいない。旦那も姑も、他人さんは一人も家族に入らない。
両親と三人の姉妹、それから縁あって保健所行きを逃れた一匹の犬。5人と一匹で構成される小さな家族。

だからこそ私は家族に執着して、父母の死を悼みつづけ、次に遠いところへ行ってしまうであろう老犬マヤに、ありったけの愛情と体力と時間をさいていた。

朝5時に起きて出勤前に2時間の散歩に行くのはつらいものだが、父母を失った時のような後悔は二度とごめんだという一心から、一日でも長くマヤが楽しく生きられるようにと、心をくだいていた。

だというのに、なぜ平均寿命が90年に近い生き物が、それも自分より6才も若い人間がこんなに唐突に逝ってしまうのだ?


三回忌を目前にした今、父に対する後悔は徐々に薄れて、私はようやく前向きな気持ちになっていた。
自分の心の平安が取り戻せたから、次は心を病んで苦しみもだえている妹のことをなんとかできないだろうか、と考えるゆとりも出てきていた。

問題が大きすぎてこれまで妹の心の病と本気で向き合うことはしなかったけれど、私にとって守るべき存在は、もうマヤとカナしか残っていない。

ならばここは腹をくくって、じっくり妹に付き合ってやろう。そう心を決めた矢先だった。
ただ、寿命の短い犬に比べると、人間にはまだまだ時間はある。急ぐことはないと思っていたのだ。

けれど、急ぎすぎるくらいでちょうど良かったらしい。私はまたやってしまった!
後悔を延々とひきずる性格だから、常に「後悔しないために」必死で走り回っているくせに、またしてもなすべき時になすべきことができなかった……。

そう、今回もちょっとした面倒くささを我慢して、銀行回りのついでにあと5分余分に自転車にまたがり妹の家をのぞいておけば、ひょっとすると妹はまだ元気にしていたかもしれない。
そうでなくとも、最後にもう1,2回言葉を交わすことくらいできたはずだ。

でも、もう遅い。全て終わってしまった。


カナ(香苗)は、幼い頃からいじめられっこで要領が悪くて、いつもおどおどして人に気ばかり遣って、体が弱くてすぐに疲れて一日中寝てばかりで、おまけに心も弱くてちょっときついことを言うとすぐ半泣きになるものだから、「いい年をしてこれでは……」と、私とヘボピーはしょっちゅうため息をついていた。

それでも自分なりに一生懸命だったのは疑いようがない。
まじめですごいがんばりやさんで、思いやりがあって優しくて、とても、とてもいい子だった。

まるで小学生がそのまま大人になったみたいなところがあって、姉たちは「これでは先が思いやられるなあ」と眉間にしわを寄せたものだけれど、世間ではよく言うではないか。頭や肉体の発達が遅れたりなにかが足りずに生まれてきた者は、普通の人よりも神さまに愛される存在だと。

今になって振り返ると、カナは私たちよりずっと神さまに近かったように思える。


関西地方を襲った強力な台風が通り過ぎた8月10日の午後3時前。電話を文書で連絡が取れるファックス付きに変えてやろうと(妹は電話に出なかったので)、雨があがってすぐに妹の家に向かった。

ファックスの設定が終わったらファミレスにでも行って、それからカラオケで私が覚えたばかりのアニソンを教えてやろう。

妹はカラオケが大好きだったし、「すぐじゃ無理と思うのならば 少しづつでいい」と歌う「夏目友人帖」の主題歌は、要領が悪くて生きることがひどく辛そうな妹なら、きっと好きになるだろうと思ったのだ。

ただ、その数日前から、電話をかけてもずっと話し中なのが少し気にかかっていた。
だが、また受話器がはずれてるのに気が付いてないんだろう(よくあることだったのだ)と自分に言い聞かせ、私は台風に襲われた週末の二日間、家から一歩も出ずに過ごしていた。


妹は長年精神を病み、睡眠薬と向精神薬を常用していたせいで、常に頭がぼんやりしていたようだ。
また、一度眠ると耳元でどれほど電話の呼び出し音が鳴ろうとも、まず目覚めることがない。
だから電話はほぼ用をなさなかった。また、携帯電話もすぐに落としてしまうだろうと持たせていなかったのだ。

スマホかパソコンを買ってやれば多少は世界が広がるだろうかとも考えたものの、月7千円近い料金を肩代わりしてやることは、手取り月収20万にすぎない私には厳しくて、与えられないままだった。

そんなわけで妹に連絡を取ろうとすれば、家まで行くしかなかったのだ。(父が急死した時などは葬儀の準備もあって忙しいのにこの子は……と情けなくて涙が出たものだが)
だから日曜日、雨の合間を見計らって部屋を訪れた。


エレベーターのない薄暗いアパートの、急な階段を四階まで上がって、踊り場に立ったとき、ほのかに昨日嗅いだのと同じ臭い──冷蔵庫に入れるのを忘れてうっかり腐らせてしまった豚肉に似た匂いがした。

だが、誰かがゴミでも腐らせたんだろうとあまり深くは考えないままに、ドアを開けて布団の上にうつ伏せで寝ている妹を目にした時も思ったのだ。どうせまた眠り込んでるんだろう、と。
ただ、身体が布団から半分ほど身体がずれた状態にある上に、部屋の雰囲気はいつもとはどこかしら違っており、なにか嫌な感じがした。

おそるおそる近づいて背中に目をやると、もともとひどいアトピーでまだらになっていた背中の色が、いつもより黒い気がした。ひざをついてカナ、カナ、と呼びかけながらのぞき込むと、腕と指先が目に入った。
それと同時に、ああ、この子の人生はこんな形で終わってしまった!と絶望に襲われて身体が震えた。

ただ、今思えば髪の毛がかぶさっており顔は見ることがなかったのが救いだ。私はとても怖がりなので、ちゃあちゃ(妹たちは私をこう呼ぶ)には見せないでおこう、と気遣ってくれたのだと信じている。

本人確認は、警察が現場で撮ったデジカメ写真の顔を見て、ヘボピーが済ませてくれた。
「ああ、妹に間違いありません」「どうして妹さんだと分かるんですか?」
「この目の細いところとか、白髪の感じとか、輪郭とか」。
ヘボピーが警官にそう答えるのを聞きながら、頭が割れるほどの頭痛に襲われていた。

それからは数時間に渡る現場検証、検死官の調査の後、遺体は医大に送られて翌日の解剖結果待ちとなった。
小雨がそぼ降る中、担架に乗せられてアパートから出てきたカナは、映画でよく見る黒い死体袋に入っていて、物珍しげに目をやる人々の合間を縫って、あっという間に葬儀会社のバンに積み込まれて行った。


葬儀はしなかった。幸いなことに腐敗はさして進行していなかったとはいえ、顔の変色がはじまっており、「最後のお別れ」ができないところへ、遠方から年老いた親戚たちに来てもらうまでもないと判断したのだ。

棺には母と一緒に写った写真、よく使っていた身の回りの小物や財布、CDなどを入れてやり、手当たり次第に花屋で選んだ花を思い切りたくさん入れてやった。

目に入ったのをぜんぶ買ったせいか花の色のバランスがむちゃくちゃで、イメージでは「花の中のお姫様」にしてやる予定が、なんだか雑草の山に埋もれたアルプスの少女みたいになった妹を見て、ヘボピーと二人、つい笑ってしまった。

また、「もうすぐお誕生日だったんですから」と葬儀社も花束をプレゼントしてくれたのも嬉しかった。私の手当たり次第とは違い、大きくて素敵な花束だった。
(偶然にもこのK社──今年の警察担当である葬儀会社は、父と母もお世話になったところで、担当は昨年の葬儀でカナと話したことを覚えていたのだ!そして、カナは2週間後に誕生日を迎えるはずだった)

焼き場では私とヘボピー二人だけで見送ることになると思っていたけれど、カナを知る私の友人I氏が駆けつけてくれて、三人でお骨あげをした。
三人で添え箸をして取りあげたのど仏は、まだ若かったせいだろう、本当に仏さまが座禅を組んでいるようで、うっすらと顔まで見えるようで、のど仏ってこんなに綺麗なものなのか!と驚いた。


そして今、妹は骨となって、父と、母と、イリと並んで座っている。
たった2週間前には、同じ場所で寂しそうに母の遺影に手を合わせていたというのに!人生とはいつ、何が起きるか分からないものだ。

私たち二人の姉は、駄目な末妹が予想外に手間をかけずに去ってしまったことにすっかり脱力して、すべてが虚しく馬鹿馬鹿しく思えてたまらない。
ただ、カナの側からすれば、これで良かったのかもしれないね、とも話し合っている。あの子にとって、この世は生きるには辛すぎた。

だから今はただ、声を掛けてやりたい。

カナ、よくがんばったね!あんたは本当にがんばりやさんだった。
あんたには誰にも代え難い価値があるよ、と生きている間にもっと繰り返し言えばよかった。
ちゃーちゃもマミねえちゃんも、自分のことだけで必死になって、あんたのこと、ぜんぜん構ってやらなかった。ごめんね。

せっかくパスポートも取ったんだから、涼しくなったら……なんて言わずにもっとさっさと旅行に連れていってあげればよかったね。
美味しいものも色々食べて、カラオケも好きなだけ行けばよかった。お小遣いもたくさんあげて、お金の心配なんかさせなければよかった。

でも、やっと楽になったんだから、もういいよね。終わったことだ。

天国ではお父さんと和解しなきゃだめだよ。イリも、ハルも、キナも、おばあちゃんも、あんたの好きな人や犬がみんないて楽しいでしょ?もちろんお母さんもね。

時が過ぎるのはあっという間。人生は長そうで意外と長くないものだから、私がそっちに行くのもそう先のことではないよ。
ただ、ツバメみたいに食べ物を運ばなきゃならない子がいなくなったのは辛いけどね、まあ、あまり悲しまないように努力するわ。

じゃ、また会おうぜ!

母と妹

さて、長々とお読みくださってありがとうございました。
カナも自分がこの世に存在したことを、ほんのちょっぴりでも人に知って頂けて喜んでいることと思います。ぷくぷくした丸顔に照れ笑いを浮かべているのが目に見えるようです。

私とヘボピーは明日からもあとしばらく生きて行かざるを得ないなら、人生の無駄遣いをしないように、カナの分までびっしり生きてやるつもりです。
そう長い間はしょぼくれない予定ですので、皆様、今度ともどうぞよろしくお願いいたします。


<追記> ↑と記してから今年ではや9年。
当時「そう長い間はしょぼくれない予定」と気丈に記したものの、ここから数年間は実に辛い毎日でした。何度も自らの命を断ちそうになりつつも、崖っぷちで立ち止まってなんとか生き延びた自分を褒めてやりたい気分です。

それから後もカナのこと、ちっとも忘れられなくて「あの時こうしていれば!」と後悔が消えることはありません。

でも、もう開き直りました。後悔も執着も絶望も希望も全て我が身に取り込んで、思い出と共存する道を選びました。

大好きだったんだから忘れなくてもいいじゃない。
今でもすごくすごくいい子だったドジなカナさんのこと、思い出さない日はないのです。
(2023年8月7日記)