2017年6月13日(火)

近鉄久居駅
近鉄久居駅。この改札で何度待ち合わせしただろう。 最後にここに迎えに来てくれた時、久々に目にしたあかねさんはどこか天使じみていた。余命短いと分かっているからそう見えたんだろうか。 でも、昔からちょっと宙に浮いてる感じの人だったんだよ。

携帯に保存しているメールを読み直していた。これはカナが他界したすこし後、友人あかねさんから送られてきたものだ。

お盆がすぎてからも、蒸し暑い日がつづきますね。

さて、ちさとさんの日記を読ませていただいて涙が止まりません。ほんとうに人間て儚いとひしひしと。
うちの義祖父も、祖母が亡くなった翌年、こたつで冷たくなっているのを母が見つけたもので、ちさとさんとマミさんの怒りや驚きが伝わりますし、私も相当にグズでトロいので、カナさんの生きにくかった気持ちも少しわかる気がします。

まだ辛いと思いますが、いまはご自分に優しくなさってくださいね。また落ち着かれたら、電話でお話しましょうね。
このメールに返信は不要です

「私も相当にグズでトロいので、カナさんの生きにくかった気持ちも少しわかる気がします」か。確かにそういう見方もあるかもしれないなあ、とくすっと笑いがもれた。
まあ、私からするとあかねさんは、マイペースで天然で足が地面からちょっと離れて浮いてるだけだよ、と言ったらどう答えるかな。きっと「あははは、そうかなあ」と笑うだろうな。

3年前にこのメールをくれた友はもういない。昨日、6月12日の午後1時半、闘病の末に旅立った。
今年のはじめに乳がんだと分かってから半年足らず、入院してからたったの12日と、のんびり屋のくせしてまるでつむじ風みたいに去ってしまった。

あかねさん──ペンネームは「るしゃる」というのだが──は私の一番古い友達で同い年で、親友と呼べる存在。(そういえば何故「るしゃる」なのか訊きそびれたままだったな。)

あれはまだ中学生だった頃、私たちは愛犬ジャーナルというマニア向け犬雑誌の常連投稿者で、私が描いたイビザンハウンドとネフェルティティの絵が読者コーナーに掲載された次の号、あかねさんがご自分の投稿に「ミキさん、あなたの絵に感激しました!」と書き添えてくれて、それから始まった交流だ。

交流はその後40年近くに渡って続いた。
我が家で生まれたサルーキの子犬はあかね宅に迎えられ、リラと名付けられて14年の犬生を全うし、うちの家庭の事情でしばらく犬が飼えなくなった時期には長い間ハルとキナを預かってもらったり、あかねさんが失業して困ったときには助けたり、ともちつもたれつの関係だった。

私が初めての同人誌を作った時からずっと、本を出すたびに原稿を寄せてくれた。
寒い冬の夜、あかねさんの家に泊まり込んでこたつに入り、夜通し原稿をやったりしたし、彼女が行けないイベントにヘボピーと私の二人で参加して、あかね作のガンダムグッズを売ったりもした。

修道女のような清廉な雰囲気のあるあかねさんは黒髪を腰まで伸ばし、いつもスカートをはいていた。
女らしい可愛らしい声の持ち主で、物静かなおっとり屋さん。パンツスーツでキリキリ動く押しの強い私とは正反対だった。家だって兵庫と三重と離れていたから、「犬」という接点がなければ出会っていなかった。

距離が離れていたせいもあって行き来はそう頻繁ではなかったし、お互いに夢中になる世界が変わった時には離れがちになることもしばしば。
それでも愛犬雑誌から始まった交流は途絶えることなく続いていて、私にとっては家族と友人の中間にいる、何でも話せる慕わしい存在だった。

中学生の頃からずっと病気のご両親の世話をしていて、6年前に寝たきりのお母様を見送るまで、介護介護の毎日。
複雑な家庭環境ゆえに10代の頃はずいぶん苦しかったと教えてくれたものだが、でもそんな中にあって頑張ってパソコンを学び、やがてパソコン教室で子供達を教えるようになっていた。

そういえば、あかねさんが入院してから初めて知ったことがある。偶然お見舞いで一緒になった叔父さんと叔母さんが、帰りに駅まで送って下さった時、車の中で聞いたこと。

叔父さん達の息子さんは何をする意欲もなくて鬱々と過ごす毎日だったそうだが、あかねさんを通じてパソコンに興味を持ち、そこから将来に続く道を見つけたというのだ。

「先生があかねちゃんじゃなかったら、きっと学校も続いてなかっただろう。でもがんばってパソコンを勉強して、いい会社にも就職できた。みんなあかねちゃんのお陰だ」と叔父さんたちは言った。

それを知った時、胸がいっぱいになった。
ああ!あかねさんはすでに大きな仕事を成し遂げたんだ。若い世代を導くという仕事を。
まるで個々の人生の糸が複雑に絡み合い、重厚な美しさに輝く一枚の布が織り上げられるのを目にしたような感覚だった。

思えばとても不思議な感じがする。10代だった少女たちが40年近い年月を経て、一人が死の床にあるもう一人の手を握り締めることになるなんて!

本当にいい人だった。どれほど現実世界で苦しもうとも汚れない、どこか浮世離れしたところのある、まるで精霊みたいな人だった。

大切な大切なお友達あかねさん、長い間お疲れさまでした。出会えてよかった。そのうちまた、いつかどこかで会いましょう!

さて、まだあとしばらく私はこの世で生きていく。きっとまだやるべき仕事が残っているんだろう。
でも、心の友を欠いた世界は、これまでと比べるとなんだか寂しく味気ない。

ポニーbyるしゃる
あかね作のポニー。動物の中でも特に犬と馬を愛した人だった。 ギャラリーを借りて動物イラストの個展をするのが夢なのと話してくれたのは死のたった4ヶ月前。実現すると信じていたのに急いで逝きすぎだよ!