2019年12月19日(木)

イングリッシュコッカー
ヘボピーねえちゃんからお風呂に入ったごほうびのハーゲンダッツをもらっている。

何か月ぶりのことだろう、ようやくマヤを風呂に入れた。

認知症で自分の排せつ物を認識できないせいで(こういうところ、ヒトもイヌもおんなじだ)、ちょっと目を離したすきに躊躇なく大小の山を踏み越えてゆくマヤは、ぎゅうっと抱きしめるのがちょっぴり厳しいワンちゃんと化していた。

もちろんばばちい肉球はタオルでぬぐったり、足だけお湯で洗ったり、時には全身にドライシャンプーをほどこしてはいた。 でも、場当たり的お手入れにも限界がある。
新年を迎えるまでに綺麗にしなくては!と私はあせりを覚えていた。

とはいえ毛量が多くてなかなか乾かかないマヤの入浴は重労働。
犬のお風呂といえば「犬洗い、一匹百円」と野坂昭如さんのナレーションが入る古いCMを思い出すが、任せていいなら百円どころか、諭吉一枚にお茶とマルセイバターサンドも付けるところだ。

なら諭吉をはたいてトリマーさんに頼めばいいじゃん!と言われるだろう。
だが、聞いて欲しい。荒れ狂う老犬、マヤ・ザ・コッカーは年初頭、行きつけのサロンからついに出禁を食らったのである!

認知犬——もの哀しい響きだが、ペット業界では認知症の犬をこう呼ぶらしい——のトリミングは、プロですらできれば回避したいものだと聞く。

さもありなん、シャンプーの間ずっと100デシベルの悲鳴をあげる、狭いテーブルの上でもマイペースで徘徊しようとする、ストレスのあまり泡を吹いてぶっ倒れる等々、認知犬はリスクがいっぱい。
もしも私がわんわん美容室のオーナーなら、そこまで危なっかしいお客を引き受けるだろうか?いやきっとていねいにお断りするにちがいない。

そんな認知犬の一角として、マヤは「多動」と「咆哮」の問題をかかえていた。
トリミングとは高い場所を恐れる心理を利用して、犬がぎりぎり立てるだけの面積しかない、背の高いテーブルの上で行うものである。
しかしマヤは高さ80センチのテーブルから「ちょっとそこまで♪」と空中散歩に出かけようとするせいで、二人がかりで制止しつつドライ&カットするトリマーさんは額に滝の脂汗。

加えてうるさい。ものすごくうるさい。
「マヤちゃん、仕上がりましたのでお迎えに来てください」と電話をかけてきたトリマーさんの背後から、がおーがおーと100デシベルで叫び続けるマヤの声が聞こえてくる度に、申し訳なさに身がすくんだものだ。

そしてある日、とうとう三行半を突き付けられた。
「これ以上責任を持てませんので、今後はお引き受けしかねます」と。
ショックのあまり呆然とすると同時に、そら当たり前やな、と思った。

まあ、そんな経緯でトリミングを頼めなくなってから、犬洗いは我が家の一大事業となった。

入浴当日には他の用事を一切入れないようにして、さあ!やるぞ!とリングに上がるレスラーばりに気合を入れて犬を抱き上げる。

一方、かつては風呂場に連れていかれる気配を察知するだけでガルル……と唸っていたマヤはといえば、今なお抱っこしただけで体をカチカチにこわばらせるから、よっぽどイヤなのだろう。
呆けてもなお「いつもの抱っこ」と「風呂の抱っこ」を瞬時に区別できるとは、犬たちはまだまだ未知の能力を隠していそうだ。

さて、抱っこしたマヤをやさしく風呂場のタイルに置いたらお次は、前もってお湯を張っていた犬用風呂おけ(40年もののプラスチック衣装ケース)に移す。
そして足ガクガクの犬を支えつつ、無心でWASH&WASH!

その間中マヤは悲痛な声で鳴き続け、それが引き金となって恒常的夜鳴きにスライドする恐怖におびえつつ、ひたすらWASH&WASH!またWASH!

へたりこみそうになる犬を中腰で支え、横移動させたり抱き上げたり。わずかな力加減の誤りでぎっくり腰になりそうで緊張が走る。

洗い上がればタオルをふんだんに使って水けを取って(なぜかマヤはこの工程だけは好きらしく、目をキラキラさせながらもみくちゃにされている)そこから最大の難関・ドライング。両手にドライヤーをかかげて二丁拳銃でぐぉんぐぉん乾かす。
だるい腕、飛び散る綿毛、耳をつくモーター音、嫌がって身をよじる犬……サイアクだ!

それでも箱根峠を越えればハーブの香りをまとった素敵なわんこが待っている。
ぽよっぽよのふわっふわになったマヤをぎゅうっと抱きしめて、「頑張ってよかった……」と達成感に酔いしれるのが、テルマエ・こっかすぱにえるのエンディングである。

このように手間がかかるあまりどうにも気が乗らない犬洗い。
やり切った時の大きな満足感と、「だりぃ」という怠け心の綱引きは、来月も再来月もそのまた翌月も、マヤの命ある限り続くのだろう。

きちゃないマヤ
ビフォア犬洗い
きれいなマヤちゃん
アフター犬洗い