2020年3月11日(水)

福島の空
2019年に旅した時に見上げた東北の空

3.11。大震災から9年が経った。毎年この日になれば唐突に命を奪われた人々の無念と残されたご家族の嘆きに思いを致し、しぶとくもまだ生きてここにいる我が身を省みる。

ニュースで追悼行事の映像が流れる日になると、ある人のことを思い出す。
年齢も名前も知らない。どんな仕事をしていたのか、どこに住んでいたのか何も分からない。そもそも実際に会ったことすらない。
津波から逃げ延びた人々の体験談を綴った本の中で「2011年3月11日までその人は確かに生きていた」、ただそれだけを知るのみの人。

そんな希薄な情報しか知り得ぬ存在だというのに、津波からの生還者が「彼」の姿を記した文章は私の心に深く突き刺さり、なんとも言い知れぬ慕わしさと哀しみを覚える。

さて、ここからは旧サイトに上げていた文章を再掲させて頂きたい。
私は縁者でもなんでもないけれど、皆さまにも「彼」のことを知って頂ければなんとなく嬉しいし、もしも濁流に飲み込まれた彼がそのまま命を落としていたならば、御霊も慰められる気がするのだ。

「3.11 慟哭の記録」に記された彼の姿を思い描くたび、生と死のあわいにいるささやかな存在である私たち人間について、居住まいを正して考えてしまう。

<以下 旧サイト記述分>

3.11といえば真っ先にある人のことを思い出す。直接お会いしたことはない。風貌はおろか、名前すら知らない。岩手県大槌町が津波に飲み込まれた日、西日が差す時間までは確かにこの世に生きて立っていた、ただそれだけしか知り得ない人のことを。

「3.11 慟哭の記録」という本がある。人生の流れがこちらとあちらに分かたれた日に、ほんのわずかな運の差で「生」の岸辺に泳ぎ着いた人たちが、あの日の体験を綴った本だ。

私の心にいつでもいる人のことは、その本におさめられていた。白澤良一という方の手記である。
以下、長くなるが手記の一部を引用させていただきたい。地震発生から30分後、家までは絶対に来ないと信じていた津波に襲われた白澤さんの体験談である。

「その時、次男の嫁が当時11ヶ月になる男の子──私たちにとっては孫にあたる──を乗せて駐車場に停まったのが一階の居間からガラス越しに見えたので、妻が、慌てて外に出た。そのとたん、「大変だ!津波だ!お父さん、タロ頼む」と妻の大きな声が聞こえた。さらに、「車はダメ!走れ……!」と長男の叫び声が聞こえた。

私はそれでも「津波なんかここまで来るものか……。」と思いながら、玄関脇の窓を開けて、初めて見た光景に不思議な感じがした。何と、二階建ての家が幅数百メートルに渡り将棋倒しのように、バリバリと凄まじい音を立てて50~60メートル先から押し寄せてくるのが目に入った。
その光景を見た瞬間、「午後2時46分に地震があったのに、何故、その時に倒れないで、30分も経ってから家が倒れるのか」と思ったのもつかの間、向かってくる倒壊家屋の地面から1メートル程の高さでドス黒い泥水が見えたので「津波だ!」と直感した。

とっさに二階に駆け上がり、クローゼットの隅でブルブル震えていたタロを見つけ、抱きかかえ一階に戻ろうとしたが、あっと言う間に泥水が二階の廊下を覆い尽くしたので、急いで二階の廊下から屋根に這い上がった。屋根に登っていれば、まさか流されることはないと考えたが、みるみるうちに水かさが増してきた。

屋根に上がった瞬間、泥水が私の家の一階の屋根の高さまで達した。私の家の屋根にドーンとぶつかった後、泥水の中に沈んでいく家、波の力で家々がバリバリと砕け散る音、おびただしい数の家が倒壊してギシギシと擦り合う音、プロパンガスのボンベが「ボン」と、鈍い爆発音とともにガスがシューシュー漏れ出す音と臭い、車の電気系統がショートしてビービーと鳴るクラクションの音。
そういう光景を目前にして、右手でテレビのアンテナを支えている針金をつかみ、左脇にタロを抱え「あれッ!あれッ!どうしよう」と呆然となった。

屋根の上で見たものはそれだけではなかった。姿が見えないが、あちこちから「助けてくれー!助けてくれー!」と叫ぶ声。さらに、40~50メートル離れたところでは、40歳代の男性が家の屋根に立っていながら流されていた。

紺のジーンズに青いヤッケ、デイバッグを背負い青い帽子をかぶり、私の方を見ながら右手を挙げ、西日に照らされながらにっこりと笑っていた。私の姿を見て「あいつも逃げ遅れたのか」と思ったに違いない。
ちょうどその時、私の家から三軒ほど離れた家のプロパンガスボンベが爆発し、黒煙と共に火柱が見えたので、一瞬、そっちの方に目をそらした直後、その家も彼の姿もなくなっていた。

今冷静になって考えるに、あのような状況の中で笑えるというのは、神か仏になりきった者でなければそのような心境になれるものではないと思っている。

プロパンガスによって炎が「バリバリ」と音を立てて燃え上がり、黒煙を立ち上げ私の家の二階に延焼した瞬間、「ギイッ。ギイッ」と鈍い音をたてながら、さらに足下には「ゴトッ。ゴトッ」と鈍い振動を感じながら、少しずつ家が流されはじめた。」

家族や友人を幾度か見送ってきた私自身にも、近い将来死は確実に訪れる。
長い旅の最終地点で、自分はいったいどんな風景を見るだろう。視界には誰か微笑みかける者はいるのだろうか。

3.11が巡り来るたび、猛り狂う濁流の上、西日に照らされながら右手を挙げてにっこり笑う彼の姿を思い浮かべる。

樹木
旅館の裏庭に生えていた美しい樹。夕闇の押し迫る山のふもとで光を放っているように見えた。東北は自然の息吹が濃密なことに驚きを覚えた。