2020年9月21日(月)

マヤ、またね
2016年2月に撮影した当時13才のマヤ。特別に綺麗な写真というわけでもないし、マヤはここからさらに4年半も生きてくれるわけだが、これを撮った時、皆さんにマヤの旅立ちを報せる際にはこれを使おう、キャプションは「また、あおうね」にしようとずっと前から決めていたんだよ。

ご報告がずいぶん遅くなりました。
去る2020年9月21日、午前11時15分頃に愛犬マヤは病み衰えたぼろぼろの体を捨てて、明るいほうへと駆けてゆきました。
折しもこの日は敬老の日。4連休の3日目の午前中という、まるでサラリーマンの主人を思いやるかのような最高の日程での旅立ちでした。

彼の足が本格的に萎え、咽喉部の腫瘍?はみるみるうちに大きくなり、痛みでぐずるようになった当時のあれこれはTwitter(@horemheb_18)で断片的に呟いていましたので、ご覧くださった方もいらっしゃるかと思います。

それに加えて私の心がもっと落ち着いた後に、「マヤの一生」のエンドロールとして、旅立ちまでの一連のできごとをもうすこし詳しく記しておきたいと考えています。

しかしそれには少々時間がかかりそうですので(この訃報ですら1ヶ月遅れ!)ひとまずと言っては何ですが、友人に宛てたメールから抜粋する形で、こちらでもマヤの旅立ちのことを簡単にご報告させてください。


マヤは敬老の日、9月21日、真っ青な空に白い雲がふわふわと浮かぶ素敵な天気の日に私たち姉妹の胸に抱かれて旅立ちました。

それまでの2カ月間は足が萎えて歩行が難しくなり唇の腫れが引かず、旅立つ一週間前ほどは完全に寝たきりになり、喉のリンパ節の部分に腫瘍ができて、それが息を止める引き金になりました。

死の2ヶ月前に一度倒れてからは早回しのキネマを見るように、あれよあれよという間に変化して、「老犬介護」の一通りの過程を大急ぎでこなさせてくれた感があります。

最後の前の晩は喉の腫れが気管を圧迫して痛かったのでしょう、一晩中鳴き続けており、これは自然に任せず人の力で幕引きをしてやらなくてはならないかもしれない、と飼い主としての覚悟を固めて獣医さんに連絡をしました。

そう考えてるうちに、翌朝7時ごろに一度完全に息が止まりました。
……だというのに、マヤありがとう!いい犬だった!と慟哭する私たちの腕の中で、なんと、息を吹き返したのです!
キリストか!と驚くやら、死ぬ死ぬ詐欺や!と大笑いするやらでした。

それからはもう私たちはほっとしてしまって、これならひょっとしたら20歳まで生きてくれるのかもしれないねと話しながら、汚れたタオルやベッドを洗い始めました。

そして3人で並んでお布団を並べて昼寝をしました。
ぐだぐだ寝ているマヤと妹を見ながら、これがマヤが一番望んでいたことなんだろうな、とふと思い至ったことを覚えています。

その4時間後、またアンアンと鳴き出して、お水が欲しいのかなあと水の入ったボウルを差し出すと、自分の力でちゅうちゅう吸って、甘酒を少し口に入れてもらい、それから私の腕の中で突然呼吸がおかしくなって、今度は永遠に息が止まりました。

一度甦りましたので、私たちは悲しむよりも狐につままれた思いを抱きながら、マヤを交代に抱っこしてお別れを言いました。
私たちがあっけにとられている間に「じゃぁ、ぼく行くよ。またね!」と飛んでいった感じがするのはイタズラ者のマヤらしいです。

折しも旅立ったのは4連休の3日目。
もう駄目かもう駄目かと思いながら「お盆休みまで頑張ろうね!」「4連休まで頑張ろうね!そしたら3人でいっぱい楽しいことできるからね」と話しかけ続けたので、この日まで踏ん張ってくれたのかもしれません。

4連休の最終日に葬儀ができて、会社を休むこともなく、サラリーマンの飼い主を思いやったような最高のスケジュールの旅立ちでした。

享年17歳7ヶ月。
8ヶ月になるまで4日足りなかったのが少しだけ残念ですが、イングリッシュコッカーは比較的病が多く、寿命も12年からよく生きて15年と聞きますので、これ以上を求めるのは無理と言うものでしょう。

犬としては長い一生の間に父が去り、母が去り、末妹まで去って最後に小さな犬が残ったのは振り返れば意外です。

常人には見えない世界を覗くことのできる友人がかつて「ミキさん、大切な人たちがみんな死んでしまって悲しいでしょう?マヤちゃんはその分自分が頑張ろうと思ってるんだよ」と語った言葉が思い出されます。
本当にそうだったのかもしれません。

私ははじめ別の子犬を選んでいたのですが、すでにアルツハイマーに罹患していた母が、こっちのほうがいいなぁと指差した縁で我が家に来たマヤ。17年以上に渡って家族をずいぶんと笑わせ力付けてくれました。

小さな犬なのに、何か神様のようなものが宿っていたように思います。
本当にいい犬でした。

哀しみはまだしばらく尾を引くでしょうが、おどけ者マヤが喜ぶように、私も人としての一生を大切に味わいたいと思います。

みなさん、長い間マヤを可愛がってくださって、どうもありがとうございました。

ミキ ナチ拝

マヤ
みんな、とてもながいあいだぼくをみてくれてありがとう!