2005年5月エジプト中部 エル・アマルナ

日がまだ明けぬアケトアテンの太陽神殿跡をバックに、萌えるオカッパのシルエット。
この旅行の時、私の頭は漆黒のオカッパだったのだが、このスタイルのせいで空港に迎えに来た職員に思いっきり無視され、延々と待ちぼうけする羽目に……。

あとから聞くと、どうやら私は1インチの疑いもなくヨーロッパからの観光客だと思われていたらしい。
そう言われれてみると、現代日本ではオカッパ頭は絶滅寸前。今では環境保護団体と磯野家とジョジョ5部くらいにしか生息していないレアな存在かもしれない。

それでも顔見たら東洋人って分かるだろ?フツー。エジプト人ってAWATEが多いのだろうか。
……まぁ、パリっ娘だと勘違いされたのなら、それはそれでちょっと嬉しいかも。

アクエンアテン王像
アクエンアテン王像(ルクソール博物館蔵) ♪顔長~い 顔長~い 顔長~い♪

アテンの地平線」を意味するアケトアテンについては、エジプト史をチラ見したことのある方ならば小耳に挟んだことくらいはあるだろう。

残念ながらここはエジプト学サイトではないので、詳しいお話はエジプト本などで読んでいただくことにするが、エジプト史について全くご存じのないお客様も多いと思われるので、ごくごく手短に説明すると……。

時は18王朝後期。広大な所有地からのアガリや、王が戦勝を感謝して神へ奉納する神殿奉納物によって、年々肥え太り権力を増大させ、そのうち政治にまで口を挟むようになってきたアメン神官ズ。

その介入をうるさがり、王都をアメン神のしろすめすテーベから、どんな神にも属さない未開地に遷都しようと計画したのが、虫歯王アメンホテップ三世の息子。

ウマズラでLOVEを説いた古代エジプトのジョン・レノン、古代エジプト史における屈指のエキセントリック王アクエンアテン(=「アテン神の僕」。「アメンホテップ4世=アメン神は満ち足りる」からきっちり改名)であった。

アクエンアテン像
アクエンアテン像(ルクソール博物館)。 この王の治世に花開いた美術は「アマルナ美術」と呼ばれるが、他の時代のものと比べると「理想化された姿じゃなくって、ブサイクでもいい、ありのままを描くがいい」という姿勢などにおいて、かなり異質らしい。

アクエンアテンはエジプト古来の多神教を廃し、太陽円盤の姿を取るアテン神を唯一の神と奉じたため、現代一神教を信じる人々にたいそう好かれているようだ。

そのため「人類最初の個人」なんてすんごいニックネームを付けられちゃったりもしているが、まぁ考えようによっては、思いつきで回りを振り回すトッパなお方だったと言えるかもしれない。

そんなエッジな王様が新しい王都に選んだ処女地、それがナイル中流に位置するアケトアテン(現代名・テル・エル・アマルナ)なのである!