アテン神殿跡
アテン神殿跡。どうやらアケトアテンの観光のメインはここらしい。柱は修復が激しく、台座のコンクリっぷりなど余りに身もフタもなさすぎで詫び寂びゼロである。

だが、ガイドブックを開いても、アケトアトンといえばこの場所とアテン神官メリラーの墓(コンディション悪く、番人はがめつい)の写真くらいしか載っていないところからすると、この王都跡がいかにマニアじゃないヒトに厳しい場所なのかお分かり頂けるだろう。
一緒に行ったヘボピーも砂塵と瓦礫の波状攻撃に嫌気がさしたのか、あっという間に死にかけ人形と化していたよ。

さて、王都がここに置かれていた時代の前後は、アメンホテップ大王、女傑ティイ、「美女は来たりぬ」ネフェルティティ、イケイケ軍人ホルエムヘブ、少年王ツタンカーメン……と派手な役者が揃ってゴージャスこの上ないし、愉快なできごとも一杯なので、アマチュアエジプトファンの間では圧倒的な人気を誇っているようだ。

かく言う私もその一人。ホルエムヘブファンとしても彼の仕えたアクエンアテン王の築いた都は、ミカ・ワルタリやアガサ・クリスティー作品をネタ元に、あらぬ想像をあれこれ巡らせ萌えたぎる上で、どうしても落とせないポイントなのである。

アテン神殿跡
上のポイントをもっと手前から臨むとこんなカンジよ~ん。
かつては左右に列柱と供物台がずらり並んでいたのだが、今では「取り壊されたかんぽ保養施設」の趣……。 だが、この神殿跡地を踏みしめ、「ここでアテン神官やアクエンアテンが祈ったのね!」と感動してしまうのが好き者のSAGA。

ただ、エジプト中部(中エジプト「なかエジプト」と読む)はテロの可能性がなきにしもあらずだったせいで、つい最近まで渡航延期勧告が出ていた土地。観光客が完全に自由に行動することはできない。

私が最後にアマルナに行ったのは2005年5月ゆえ、情報が若干古いかも知れないが、渡航延期勧告が解除されてかなり経っていたはずの当時でも、警察のガードと事前の行動予定提出無しでは自由に動けないという不便さがあった。

前後を警察車両にガッチリガードされた上、自分の車にまで警察のアンちゃんが乗り込んでくるなんて……も、もうお嫁に行けない!

アテン神殿跡
左の写真から反対側を見るとこんな風景。 中央の白い部分には玉座が置かれ、アクエンアテン王が座していたのだ。ひょっとするとホルホルもこのあたりに立ってたかも……と想像するとたまらなく萌え。
左右の泥煉瓦は当時のままのものが残っている。

日本から出ているツアーを見ても、ここを訪れるコースはごくわずかである。
とはいえ商売熱心な旅行会社のこと、もしここがアビドスのようにゴージャスな遺跡ならば、ツアーの数ももう少し多いんじゃなかろうか。

観光地としてのアケトアテンは、なぜ今ひとつ盛り上がらないのか?
……それは「マニア以外にはキツい瓦礫の山だから」。
きっとこの一言で片づけられると私は確信する。