2020年5月16日(土)<旧サイト2019年10月22日記述分です>

ある日会社のおつかいでいつもの役所に出かけた時に、道ばたのベンチで休んでいるお爺さんと、たっぷり太ったアメリカンコッカースパニエルに出会った。
座っているだけでも大儀なのだろう、全身で息をしている老犬を見た瞬間に、あっ!あの時の犬だ!とすぐに分かった。

アメコカの子犬

それは13,4年前に同じ場所で店の前に繋がれて主人を待っていた仔犬。
チェックのシャツを着せられたふくふくの姿は「ぬいぐるみみたい」という表現がぴったりの愛らしさ。夢中でガラケーのカメラを向けたものだが、間違いなくあの犬だ。あの仔犬がまだ生きていて、こうしてちゃんと主人のお供をしているなんて!

10年以上の時間を一気に飛び越えたようなめまいを感じながらお爺さんに話しかけた。
このワンちゃん、何歳になりましたか?長生きですね!
仔犬の頃に見たことがあるんですが、まだこんなに元気でいたんですね。

自分の身近にある時、時間の流れはゆるやかに感じるものだが、こうしていきなり時をまたいで他の人生、他の犬生を目にすると、時間はなんと素早く飛びすさってゆくものだろう、と驚きを覚える。
そして「粛々と生きる営み」に対する愛しさで息が詰まりそうになるのだ。

残念なことに二人に出会った日には仔犬時代の写真を持っていなくて、お爺さんに愛犬の記憶を甦らせてあげることができなかった。
また会えるかもしれないと写真を移したスマホを持って、同じ場所を通るたびにベンチに目をやるのだが、あれから3ヶ月、再会の願いは叶っていない。

老犬にとっての3ヶ月は1年にも等しいものだ。ひょっとすると散歩に出られないくらい足が萎えてしまったのかもしれないし、すでに犬生を終えたのかもしれない。

それでも桜の樹が枯れ葉を落とすレンガ道を行く度に、この写真を見たらお爺さんは喜ぶだろうなと思いながら一人と一匹の姿を探してしまう。