2020年5月24日(日)<旧サイト2017年6月6日記述分+αです>

黄色い花
私が「カナの花」と呼んでいる黄色い花。

名前を知りたい花がある。5月頭から末にかけてあちこちの道ばたや空き地で黄色い花を咲かせる、私が勝手に「カナの花」と呼んでいる雑草の名前。

なぜ「カナの花」なのかという理由は些細なもので、あれは私が中一くらい、末妹のカナが小学校低学年だった頃(私たちは6才ちがいだ)、父のカメラを借りて写真を撮りはじめていた時の話だ。

犬猫を撮りたくて始めた写真だったから人間が被写体になることは滅多になかった中、たまたまカナを黄色い花が咲き乱れている空き地に座らせて写してみたら、屈託のない笑顔がとても可愛くて、自分としてはびっくりするくらいいい写真が撮れた。

そういうわけでそれからずっとこの花を見るたびに、花畑でアルプスの少女ハイジみたいに座っていた末妹を連想するようになっていたのだ。

カナが生きていた頃も死んでからも毎年5月になれば草は同じ場所に花を咲かせて、細長い茎の先の黄色が揺れるたびに幼い妹の笑顔を思い出す。

そんな黄色い花の季節、徳島へ旅した移動中の車中にあって、同行の3人に苦しい内心を聞いてもらっていた。

少しずつ癒されつつあるとはいえ、妹の死に対してどうしても、もうどうしても納得がいかないこと。
自分は死の向こうにある世界を完全に信じることは出来ないし、死を経て肉体は炭素に帰るわけだから完全な「無」と化すわけではないとはいえ、個々の記憶は消滅して妹と二度と会えないのでは?と考え始めると怖くて怖くてたまらないこと。そんな話を訥々と語っていた。
(初対面の人にこんなヘヴィな話をするなんて普通に考えるとありえないけれど、幸いなことに旅の同行者はそれを許してくれる面々だったのだ)

すると次の瞬間、心臓が驚きに跳ね上がった。
走る車の前に突然、数え切れないくらいの蝶が表れて、紙吹雪のようにひらひらと舞った。そして大きくカーブを曲がるとそこには、路傍に咲き乱れる黄色い花。

「死を経て変容する魂」の象徴とされる蝶々の乱舞と、一面を黄色く染め上げたカナの花。それらを同時に目にした時、私の中で「三木香苗」の死がすとんと腑に落ちた気がした。

あの旅行から二週間。相変わらず身の回りでは「死」が身近なものとしてある日常に変わりはないし、私自身の生活にも表面的には変化があったわけでもない。
だが、さなぎが蝶々に変容するように、「死」に対する感覚が私の心の中で少しづつ変わりつつあるようだ。

そういう経緯でますます「カナの象徴的存在」として強く意識するようになった花。名前が分かれば花言葉とか調べてみたいのだ。
でも「恨みます」なんて花言葉だったらイヤだなあ。

どこを捜してももう咲いてなかったせいで(6月6日当時)ガラケーの望遠レンズに頼った結果、銀行ATMの防犯カメラに写ったオレオレ詐欺の出し子の写真みたくなってしまった。
どなたかこの花の名前をご存知でしたら教えてください。

【2020年5月24日追記分】
上記の日記を書いてから丸3年。秒進分歩で進歩しているスマホアプリを使用して、花の名前が特定できたことをお知らせしておこう。

カメラをかざしただけでスマホが植物の名前を教えてくれるアプリは各種あるようだが、私は千葉工業大学の人工知能・ソフトウェア技術研究センターが開発した花判定アプリ「ハナノナ」を使わせていただいた。

その結果、今を盛りとそこかしこに咲き乱れている黄色い花は「カナの花」ばかりじゃないことを知った。確かに写真をよく見れば、花弁や雄しべの形が微妙に違う。

世を去った妹を偲んで花の名前をAIに問う。古い人間の感情と最先端の技術の触れ合いは、どこか奇妙にリリカルだ。

「カナの花」はオオキンケイギクだったんですね。