2020年6月12日(金)

七栗記念病院の丘
あかねさんが緩和ケアを受けていた七栗記念病院は空気がきれいな高台にあった。 病院の裏手に上がればぱあっと広がる360度の視界。その爽快さもなんともいいしれず哀しかった。
病室の窓の外になぜかアライグマ。職員さんの手作り?稚拙さが愛らしい。病床のあかねさんは立ち上がって窓を開けただろうか。外にいるこの子たちを目にしただろうか。

⭐︎⭐︎2017年にあかねさんが他界した時の日記です

今日はあかねさんの命日だ。
40年来の友人で、私にとって家族みたいな大切な存在だった彼女の命を奪ったのは乳がんだった。

実はがんなのと告白されたのは2月のことで、すぐさま三重まで飛んで行ったが、その時には痩せてはいたものの、心のどこかで奇跡が起こると信じてしまうほど元気そうだったし、あかねさんも未来はあると希望を持っていた。

でも、西洋医学の抗がん治療を拒否した彼女はスピリチュアル系の民間療法を選択、あれよあれよという間に病状は悪化して、夜中にかかってきた告白の電話で私を驚愕させたそのたった4ヶ月後、小高い丘の上にある緩和ケア病棟で息を引き取った。

10代の頃から続いたあかねさんとの交流、その最後の4ヶ月のこと、これからも折に触れて話させて頂きたい。

夜中のメールで交わした会話、片道4時間かけて訪ねた病院までの車窓の風景。
ほとんど何も食べられなくなった病床の友に頼まれて、夜のナースステーションで分けてもらったアイスクリームの冷たさ。
いよいよこれが最後だと覚悟して病室をあとにする時、最後に振り返り、じゃ、来世でまた会おうね!とかけた言葉が自分の唇から発された時の、なぜか他人がしゃべっているかのような感覚。
それらは忘れたくても忘れられない、忘れたくもあり忘れたくなくもある大切な記憶だ。

3年経った今もなお亡き親友を想うと、喪失感に押しつぶされそうになる。ちっとも悲しみが癒えてくれなくて腹立たしい。

思い出すのは死の床にあるあかねさんを置いてひとり病院の裏の丘に上がった時、一気に開けた視界の中心で、夜空を煌々と照らしていた銀色の月。
あの日の月を想う時、なすすべのない悲しみを含んだ記憶は、冷たく清らかな風となって私の内側に吹き込んでくる。

私よりも4ヶ月だけ年下のあかねさん。やりたいことはまだまだあったはずなのに、ぜんぶ放り投げて新しい世界へ行ってしまった。後に残った私は相変わらず右往左往しながら「どうしてあかねさんがこの世にいないんだろう」と今更ながら不思議がっている。

スピリチュアリスト?だったあかねさんから、宇宙船に乗るヴィジョンを幾度ともなく見たと聞いても適当に聞き流していたけれど、今はそれを信じてもいい。
宇宙船は雲に擬態することがあるというから、空を見上げてそれらしい形の雲を見つけては「あかねさーん!」と呼びかけ手を振ってみる。

空の上にいるあかねさんには私が見えているだろうか。そうだったらいいのに、と思いながら空に向かって微笑みかける。

今世で辛酸を舐めた彼女は、新しい世界で幸せに満ちていると信じている。「前世」があるとするならどこかで会った私たちは、再会できるのだろうか。それまでどのくらい待てばいいのだろうか。
あかねさん、貴女のいない世界に私はまだうまく馴染めない。

あかねさんが亡くなった2日後に見上げた空。ああ龍だ、龍たちがどこかへ飛んでいく!と思った。